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いつも、どこかで、誰かが頑張っている

子供を産んでからここ最近、
日中は四六時中抱っこしてないと泣いてしまうので、
家族が寝静まった深夜に家事をこなしている。

台所に立って煮物をグツグツ煮ていると、
窓の外から、新聞を配るカブのあの独特の一定音が
聞こえてくる。

ブー、ガチャン、ブー

数年前までは、全く逆の立場だった。

新聞を配りながら、もう深夜3時なのに
まだ明かりがついている家の窓を見上げて、

「夜更かししてんのかー」と
羨ましく思ったり、まったくもう、と思ってしまったり、
明かりがついてて人がまだ起きている気配を感じて
少しホッしたりしていた。

私の家の明かりを見て、外で新聞を配っている人が
どう思ってるかは定かではないけど、
みんな寝静まった深夜に、ひとりキッチンの明かりだけで
煮物を煮ている私は、
新聞屋さんが新聞を配っている気配を感じて
なんだか癒されたりしているのだ。

いつも、どこかで、誰かしらは頑張っているのだなーと
励まされたりするのだ。
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人生って、どういう風に転がるか、ホントわからない

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ………


注):人生転がってる音

はい、
相変わらずすごい勢いで転がって、
最近ようやく落ち着いてきたかなぁ~というか、
ガツガツ動きたくても身動きがとれない状態の
ぴょんきちです、ども。

えー、ついこの間、子供が生まれまして
抱っこばかりしてるんで、まったく身動きがとれないんですよ。
腕に赤子を抱えたまま、下半身だけの力であれこれ移動してる
んで腰が痛い毎日です。イタタタ…

そうそう、そうなんです。
約1年ちょっと更新をさぼってる間に
転職、結婚、妊娠、出産を経験して、
今は「お母さん」っていう新しい仕事に従事しています。

私が新聞奨学生をしているときに思い描いていた
私の27歳の地図は(言い回しが古っ)
仕事をバリバリこなして、お金を稼いでるであろう
姿でした。

私の父親は仕事も長続きしなかったりして、
うちの家ははっきり言って貧乏でした。
そんな理由もあって、上京して奨学生をやってて、
死ぬ気で卒業したら、絶対ガツガツ稼いでやる!
「自分の力で銭を稼いで、生き抜いていく!」って
信じて疑ってなかったです。

だって、もう貧乏は嫌だし、ひもじい思いしたくないし、
ある程度のお金を常にもってないと不安だし、落ち着かない。
だから稼ぐ!

首の皮一枚でギリギリ卒業して、いざ社会人になって
スタートダッシュは志そのままに成功したようです。
ガツガツ働いて、銭稼いでました。
かわいげは、皆無であります(笑)
働く暴走機関車、諸刃の剣(笑)

120%くらい、自分にある限りのエネルギーを仕事に
注入して、フッラフラになって帰宅して、ただ寝るだけを
繰り返してました。

そんな自分が、今や専業主婦です(笑)
朝の連続テレビ小説をみるのが毎日の楽しみです(笑)

人生って、あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロて
あれこれ転がりながら進むものだろうけど、
私の場合はS極からN極へノンストップ超特急で
ゴローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
て転がって、落ち着きました(^^)

ころがって初めて、わかったことが2つあります。

1つは、本当のお金の価値。

何年かぶりに誰かのお金で(まぁ旦那の金で)生活させてもらって、
ギリギリの予算の中であれこれ節約を考えて、やりくりして、
最初は絶対私が仕事しなきゃ無理!!って思ってたけど、
案外やれるもんでした。
お金がなくても、けっこう平和に暮らせるもんだわって。

2点目は、うちが貧乏だったっていう過去の話のニュアンス。

たしかに貧乏だったけど、
父親が家に居ることが多かった分、
面白い本を教えてくれたり、ニュースの見方を教えてくれたり、
一緒によくナイターみて、あーでもないこーでもないって
よく話をしたなぁって、楽しい思い出ばかりがうかんでくる。

お金がなくてみじめだったってことは本当だったかもしれないけど、
その分、違うものを得ていたのかなぁって今更ながらに思う。
そう10年ぶりに思いなおして、その気持ちを父と母に宛てて
手紙を書いたりした。

仕事バリバリしてたとき―
手紙書く時間も惜しかったなぁ。

人はゴロゴロころがって、
ちょっとしたきっかけで
過去への認識もかわってしまう。
思わぬところでちょっと得した気分。

本当に人生ってどう転ぶか、わかんない。

これから起こる
いいこともわるいこともまるごと受けとめて
一生懸命転がっていきたい。





自分の弱さが胸を刺すとき

田舎から出てきてから、今年で10年目になる。
新聞奨学生として働いていた5年間と同じ5年を
普通の社会人として過ごそうとしている。

WAKEUP!とも6,7年のお付き合い。
残念ながら現役奨学生の日記は減ってしまったものの、
以前と変わらず、新聞奨学生の意見交換の場として
ちゃんと存在してくれていることがありがたい。。

1年以上も日記を更新せずにいた身分で、でかい口は
たたけないのだが…ごめんなさい

奨学生をしていたあの頃―
過去の経験としてでしか、あの、喜怒哀楽の日々のことを書けなくなった。
今、リアルタイムでいろんな思いをしている現役の人たちと同じ気持ちで
は書けなくなってしまった。当然だが。
だけど、かげながらずっと奨学生をしている方々を応援していきたいなぁ
と思います。

現役のときは、配達の最中に日記に書くネタを考えたりしていた。
でも、私の場合、ほとんど、その時その時、自分がパソコンの前に
座っているまさにその時!の感情で日記を書きなぐっていた。

更新回数は少なかったけど、書いたのに消してしまった
日記の数はものすごく多かった気がする。
重すぎて見せらんないよー、とか。
軽すぎてつまんないよー、とか。
ありのままを書けばいいのに。
ただただ、お恥ずかしながら弱かったのだ。。
泣いてばかりいたのだ。

とにかく、配達がこわかった。

深夜3時頃の外灯も少ない道をバイクで走るだけで
心臓が飛び出さんばかりにバクバクした。

車のランプの明かりが反射されて、人影に見えるたびに
「おじいちゃんおばあちゃんお守りください」て手をあわせながら
バイクをおりてポストに走った。

お賽銭箱のところだけライトアップされている神社の前のアパートの
2階に新聞を入れるときは生きた心地がしなかった。
契約更新のときの縛りの拡張はあえてしなかった。
確信犯だったのだ。。。とにかくこわいから。
でも、そういうところに限って、拡張員がカードをあげてきて
私の配達中のしばしの心の平穏はそんなにながくは続かなかったけど。

とにかく、死ぬのがこわかった。

新聞屋さんの交通事故の話を聞くたびに
新聞屋が集金中に刺されるニュースを耳にするたびに
「明日はわが身」といつも考えていた。

いつか、卒業する前に自分は何かの拍子に死んでしまうのでは
ないか、とおびえていた。
普通の大学生より、その可能性は高いような気がしていた。

自分が交通事故にあって頭を打ったときは
「あ~なんか後頭部が柔らかい…まわりが白く濁って見える…
私は死んじゃうのかな?洗濯物、たまっちゃってるな。
お母さん、悲しむだろうな。死んだら化けて出て、大丈夫だよ、って
伝えなきゃ」て思った。

日々の睡眠不足で心がふわふわしているとき、
9階建てのマンションを配達していて、最上階から螺旋階段を
ぐるぐるおりながら配っていると、勢いよくくだる遠心力で
私はこのまま投げ出されるのかもしれない、っていう錯覚に
陥ったりしていた。その方が楽な気さえしていた。

でも、おかげさまでちゃんと生きている。
それも、弱かったからだと思う。

臆病で小心者でエスケープ癖のあるどうしようもないところは
今もあまり変わってないなぁ。

自分の弱さが胸にささるとき、
そのたびにもっと強くなりたいって思ってきた気がする。
弱いから、どうしようもない自分だってわかってるから
強く生きていかなくちゃと。
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プロフィール

ぴょんきち

Author:ぴょんきち
未就学児2人を子育て中です。うっかりものの母ですが、自分も子供と一緒に成長していきたいな、としみじみ思う今日この頃です♪一度きりの人生、楽しまないとソンソンソン♪だな、と。

新聞奨学生をしながら葛藤していた大学時代の痛すぎる(笑)過去日記もひっそり公開中。

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